2012年9月27日木曜日

(1)三国時代の魏の王弼の注釈による『老子』第一章の翻訳です(その1)



こんにちは。最近会員になりました白川 玄齋です。よろしくお願いいたします。

私はずっと漢文を学んでいまして、その後に大阪天満宮にある漢詩の会の「浪速菅廟吟社」の師匠に勧誘されて、漢詩も学んでいます。漢詩は六年ほど、漢文は二十年になります。

自由律も今年から本格的に挑戦しております。私が所属する自由律俳句の集団「鉄塊」のメンバーの一人である天坂 寝覚さんが「アぽろん」に所属していることを知り、 #アぽろん タグを覗いてみますと、とても楽しそうでしたので入会しました。今後ともよろしくお願いいたします。

そんな私がずっと読んできた『老子』を訳してみようと思い、今年の春から訳し始めました。現在のところ十一章までを訳して、ヤフーブログに載せています。ブログの URL は以下の通りです。

「玄齋詩歌日誌」
http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai

そして私は現在入院中で、心境の変化もあり、改めて『老子』の昔ながらの訳を見直してみるために、三国時代の魏の老荘の学者である王弼(おうひつ)の注釈をもとに訳し直してみることにしました。

その訳はアメブロに掲載されていますが、「アぽろん」のブログにも同時に連載していきます。こちらもよろしくお願いいたします。
アメブロの URL は以下の通りです。

「白川 玄齋の書庫」

http://ameblo.jp/syou-gensai/


以下は今回私が書いたブログ記事です。 mixi でつぶやいたものをアメブロにまとめました。次回からは twitter のツイートの後に掲載していきます。


(1)三国時代の魏の王弼の注釈による『老子』第一章の翻訳です(その1)
http://ameblo.jp/syou-gensai/entry-11363936319.html


こんにちは。今日から『老子』第一章を三国時代の魏の学者の王弼(おうひつ)の注釈によって訳し直してみます。

(以前訳したものは以下の Yahoo!ブログにあります)

http://blogs.yahoo.co.jp/syou_gensai/66025711.html


(一)『老子』の第一章の原文を少しずつ解説していきます。まず最初の文、「道可道、非常道、名可名、非常名」は、書き下し文では「道の道とすべきは常(つね)の道に非(あら)ず、名の名づくべきは常の名に非ず」となります。まずこれを直訳しますと、


 (二)「『これが道だ』というような道は、常に通用する道ではなく、『これが名前だ』というような名前は、常に通用する名前ではないのです」となります。ここまではすぐできるのですが、「なぜ?」という疑問に全く答えていません。ここで注釈が必要となるのです。


 (三)まず「道(みち)」とは何かと言いますと、「道理(どうり)」のことです。道理とはいろんなところで必要となる「生きる知恵」のことです。政治の道理、詩歌の道理、武道の道理、社会人の道理、一般的な生活の道理などです。どれも学習や各人の工夫によって、きちんと身に付くものです。


 (四)次に「名(な)」とは、あらゆる物につけられた名前のことで、ここでは名づけられた物自体を指しています。ここで「『これが道だ』というような道」、『これが名前だ』というような名前」は、王弼の注では「指事造形」とあります。二文字ずつに分けて解説します。


 (五)まず「指事」、「事を指す」とは、「見たら知ることができ、推測して知ったときに頭の中に思い浮かべてそれをイメージできること」です。世の中のさまざまな現象を指して言います。


 (六)次に、「造形(ぞうけい)」の「造」は「為」、つまり「作る」という意味です。「形」は『易経』の易の哲学を論じた「繋辞伝(けいじでん)」の一節では「在天成象、在地成形」、つまり「天に在りては象(しょう)と成り、地に在りては形と成る」とあります。この部分は、


 (七)「象(しょう)」とはつまり「日月星辰(じつげつせいしん)」、日や月や星々のような空の天体を指し、「形」とは「山川草木(さんせんそうもく)」、つまり山や川や草木のような、地球上のあらゆる物を指しています。


 (八)ここから「『これが道だ』というような道」、『これが名前だ』というような名前」とは、「人が見たり知ったりできるあらゆる現象や物事」の事を意味しています。こういうものは常に同じ姿をとどめていないために、あらゆる現象や物事は、一つの道理や名前で表すことはできない、ということです。


(今日はここまでです。その二に続きます)


                  白川 玄齋(なかぎり代理掲載)

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